遊牧民 ~ゆーぼくみん~

43歳からサーフィンに挑戦している「サーフィン大好き人間」です。2018年5月よりBLOGを開始した駈出しブロガー!? 将来は電気自動車をゲットして、完全モバイル移動オフィスの確立とサーフィン三昧が夢。就職難を乗り越え大手旅行会社に入社するも会社が倒産。現在は小さいながらも株式会社の役員として活動。サーフィン、筋トレ、ダイエット、グルメ、健康、車中泊、節約術、ローカル情報など皆様のお役に立てる情報を配信していきたいと思います。日々新しい自分に変身出来るように「変われる自分づくり」に努めています。

諸行無常を生きる現代

 みなさん、こんにちは!遊牧民のSHINです。

 いつも僕のブログを読んで下さってありがとうございます。

 

 僕は仏教が大好きです。趣味で「お経」を時々解読したりします。お経によって助けられたと感じる事が多くあります。僕はお坊さんのような「知恵」も「知識」もありませんが、僕が共感した仏教用語が、今の生きづらい世の中で悩みを抱える方々の一助になればと思いこの「カテゴリー」を作ってみました。当然の事ですが、僕も今の世の中で多くの悩みを抱える人間の一人です。ヘビーな案件もあります。。。(笑)

 

 皆さんそれぞれ「何かしら」を背負って生きているはずです。

 

 第一回目は、僕のプロフィールの一番最後に「日々新しい自分に変身出来るように、変われる自分づくりに努めています」と書いてあります。しかし、、、

 

        これが、難しい!!!

 

 今日はその事について、仏教用語諸行無常と言う用語から紐解いて考えて行きたいと思います。ただ僕は専門家でもお坊さんでもなく、仏教に興味を持つ素人としての見解ですので、間違った表現や認識があった場合は寛容にご容赦頂ければ幸いです。

 

 諸行無常」てどゆう意味?

 諸行無常とはこの世の「現実」や「存在」「現象」、「すべての姿」も「形」、「本質」も常に流動変化するもので、一瞬たりとも存在は同一性を保持することが出来ないという事らしいです。

 

 ・「諸行」は、この世の「一切の物・事と現象」を指し、「無常」は、全ては常に変化し、「不変のものは無い」という意味らしいです。

 

 ・これを更に突き詰めると「五蘊皆空~ごうんかいくう~」という用語に辿り着くと思うのですが、それはまた今度解説します。

 

 どうですか?皆さん!? こんな生き方出来てます!?

 

 

 無常」の逆は「通常」

 皆さんは、「無常」と「通常」という二つの言葉を聞いて、どちらの言葉が安心感がありますか?おそらく、僕を含めほとんどの方が「通常」を選択するんじゃないかと思います。

 そこで通常に近い言葉を掲げてみました。「恒久」、「普通」、「安定」、「安心」などではないでしょうか。でも仏教の真理では「全ては無常」と言っている訳です。僕も同様、みなさんが「通常」や「安定」を求める事は凄くよく理解出来ます。しかしそれらの言葉を解読してみると、、、

 

 通常=とおって、当たり前

 安定=やすくとどまる

 安心=やすい心

 

 一見「通常」や「安定」と言う言葉が良い印象にあって、「無常」と聞くと、何かやり残したようなマイナスの印象に感じませんか?

 しかし、言葉を訳してしっかり見てみると、「通常」や「安定」の方が魅力ある言葉ではありません。人間が成長しそうに思える言葉ではないと感じます。

 

 一方で「無常」は、、、

世の中の全ての物事は同じ状況(態)に無いのが当たり前

  です。言葉の意味から見ても、、、

 

 「無常」=うまくいかなくて、当たり前

 

 とも取れるのではないでしょうか。僕も含め、みなさんも日々の生活の中の「特に人間関係」でのそういった多くの「うまくいかない事」に悩んでいるのではないでしょうか。

 

 無常の具体例1

1、朝起きると歯ブラシを使用して歯を磨く。歯ブラシの状態は毎日同じだろうか。

   通常=歯ブラシはよれない方がいい。

   無常=歯ブラシは毎日磨けば当然よれていく。

 

2、朝ごはんをよそう「しゃもじ」は購入した当初と比べ擦り減ってないですか。

   通常=木は擦り減るから、プラスティックの「しゃもじ」を買おう。

   無常=木の「しゃもじ」は使えば使うほど擦り減る。

 

3、大切にしていた茶碗がある日突然、不注意により砕け散りませんでしたか。

   通常=割れない茶碗がいい。

   無常=物は壊れるのが当たり前。

   ※ちなみに、千利休は割れた茶碗を「のり」で繋ぎ合わせ、その茶碗に新たな価

   値を見出しました。

 

4、ニュージーランドの「クライストチャーチ大聖堂」は地震により倒壊してしまう。

   通常=震災や災害は起こらないだろう。起らない方が良い。

   無常=震災や災害で予想しない破壊が起こり得る。 

 

 無常の具体例2

 

1、例えば「筋トレ」や「ダイエット」を頑張っている方、今日の自分と一カ月後の自分は明らかに変化してませんでしたか。

 

2、人間は約37兆個の細胞から成り立っています。その細胞が日々変化していないと感じますか。もちろん毎日変化しています。今日のあなたと明日のあなたが一緒である事は絶対にありえません。

 

3、僕は「筋トレ」や「ダイエット」を通じて減量をした経験があります。脳から意識的に身体に指示を出し、「運動という作用」をもって刺激を与えると、それに対して身体は必ず反応をし、「筋肉の成長」と「脂肪の燃焼」へと通じ減量へ至ります。

 僕はダイエットやリバウンドを通じて、人間の細胞は「良い方」にも「悪い方」にも「人の意識の変化によって」休みなく毎日変化しているという事を理解しました。

 

4、究極は「生があり、日々の変化の後、死を迎える」と言う事です。

 

 つまり、サーフィンでの波の形一つとってもそうですが、事実「一度として同じ自分は無いし、同じ環境や状況は無い」また「人間の心も同じように移ろいやすい」という事なのではでしょうか。

 

 変るの事が難しいのが「意識」!

 自分の身体や細胞も含め、世の中の物事は今日と同じ状況(態)に一切無いのに、みなさんの「意識」や「メンタル」は自然現象に素直に従って変われていますか?

 

 僕は中々変われません。年をとる毎に頭が固くなって行きます。今、世の中が180度変化しようとしているのに、自分がやり遂げた過去の経験に固執して、それに価値を持ち続けたり、若い子に自分の価値観を押し付けたり、まるで「意識」が変わる事が出来ず取り残されているようにも感じます。

 

 どうすれば「意識」を変え続けていけるのか!

  これは僕自身の見解ですが、以下のような事が大切なのではないかと感じています。

 

 1、こだわらない

 2、受け入れる(良い事も、悪い事も)

 3、その都度、自分に起こり得る事は、今までにない全く新しい事と意識する

 4、時には欲を捨てる(全ての欲は捨てきれないから)

 5、運や出会い、直感を信じ、それに感謝する 

 

 「身近な人の死」

 ・みなさんの中でも「身近な愛する方の死」を経験された方はいらっしゃると思います。「生と死」が究極の「諸行無常であるならば、それは誰もが経験し、やがて、自分に訪れてきます。「愛する人の死」の直後は悲しみに暮れ、長く立ち直る事が出来ない方も多いかと思いますが、「物理的変化」である「死」を受け入れて、亡くなった愛する方の「意志」や「思い」と共に「自分の心の中で生きている」といった「受け入れ」により、 「自分自身の意識の変化」の中で、今を日々強く生きて行くという事が大切であると思います。

 

 「人間関係について」

 ・長い人生において、誰彼かまわず仲良く出来る事はあり得ません。誰かを憎んだり、喧嘩をする事も多くあると思います。しかし、憎みや喧嘩といったマイナスの感情」や行動は大きなエネルギーを消費しストレスを蓄積する事になり、あまり得になる事はありません。それであれば、そのエネルギーを仕事や自分の好きな事に使う方がよっぽど価値があると思います。

 また、自分が悩みを抱えるような相手は大半が「自分がコントロール出来ない相手」だと思います。であれば、「この人はこのような人だから」と割り切って、逆に相手に自分をコントロールしてもらう様な大きな気持ちで、接して行けば相手の接し方も変わってくるかもしれません。相手に変化を求めるのであれば、先に「自分の意識や性格を変える」事によって「相手を自分の思い通りの人間」に変えてしまうという事はよくある話だと思います。

 「欲を捨てて嫌な人の為に自分が尽くす」こういった事が出来るようになれば「相手の心を動かす事が出来るようになる」のではないかと感じています。

 

 まとめ

 みなさん、最後まで読んで下さってありがとうございます!

 

 お釈迦様は「人生は無常であるからこそ、煩わしい欲に振り回されず、欲(煩悩)を捨て自分の大切にしたい事の為にひたむきに生きる事が幸せに生きる為の知恵である」と説いたようです。

 人災や天災が起きるように、人生はいくら計画を立ててもその通りに行くものでは無いように思います。僕の人生も明日はどうなっているかはわかりません。目の前に起きる事に向き合い毎日を一生懸命生きる事が大切だと感じています。それには日々めまぐるしく変化する環境の中で、自分自身が柔軟性をもって意識を変化させて行く事が重要だと感じています。